アシュ・ラ・テンペル/インベンションズ・フォー・エレクトリック・ギター

 マニュエル・ゲッチングによる74年の録音(ゲッチングの顔をジャケ写で初めて拝見したけど、えらいカッコイイな)。冒頭を飾る「エコー・ウェイヴス」がとにかく素晴らしい。終始基底でぶよぶよと蠢動し律動を続ける重たいベース音を背景に、ステレオで交互に明滅するギターの爪弾きによるエフェクトっぽいフレーズがカラフルに転変しつつ緩急自在に揺れ動いて序盤から中盤にかけてのアンビエント風の持続を軽妙に装う。13分過ぎからいよいよ開始されるギターのインプロヴィゼーションは、それを聴く者に叫び声による合唱を耳にしているかのような哀切さの情感を喚起させて雄弁に響き、いささか唐突の感を抱かせぬでもない切断の潔さをもって17分49秒の楽曲のすべてが程なく終息する。電子音楽の愉楽を充全に開示してほとんど完全無欠の域に達しているかとも思われるこの楽曲にあえて難点を探すとするならば、この、その終演のあまりにも淡泊なさま、切断のタイミングのそっけなさにあるように思われてならない。(マニュエル・ゲッチングは彼のギターのフリー演奏を少なくともこの倍の時間は続けてもよかった。端的に、快楽にとっては、それを終わるせようなどとすることは悪にも似た善からぬ決意にほかならないんじゃないだろうか?)。
 小泉雅史のライナーによれば、マニュエル・ゲッチングはここでシンセやシーケンサーをいっさい使わずに自前のエレクトリックギターにエフェクター、それに4チャンネルのレコーダーからのみでこのアルバムの楽曲を作り上げたということらしい。併せて紹介されているゲッチングのインタビューのことばには、ギターによってシーケンサーの効果を再現することがそこでの彼の冒険の眼目であったことも表明されている。同時代のノイ!のクラウス・ディンガーによるドラミング(ハンマー・ビート)が機械的なタイミングの反復によってより形式的な側面において電子音楽を(生音により)再現させようとしていたとするならば、ここでのゲッチングの模倣は、電子音の形式とともに、よりそのマテリアル(質感)そのものへと肉迫し憑依しようとする挑戦だったろう。(電子音楽における音の形式と質料とかいう区分は便宜上仮設されうるものに過ぎないことも確かだろう。そこでは形式の徹底が質料をいつでも召喚しすぐさまこれと接着しうるし、質料もまた野放図におのれの領土を拡大させていって形式に固有の潔癖さの壁を至るところで決壊させる。電子音楽を巡る定義論争の虚しさはこのあたりから漂うようにも思う)。
 ところで、しかしまた、ここでゲッチングの「模倣」とか「再現」とは言っても、それは正確に何を「模倣」し「再現」しようとしているか?ということをあらためて考えると、ちょっとよく判らないことも出てくる。ここで「模倣」され「再現」されようとしている電子音の身分それじたいがそもそも自然な(人間的な演奏による)それ以前の音楽や楽器の音色の「模倣」や「再現」として現れてあったという仮説が成立しうるだろう(キットラーとか読んでみる必要があるかも)。イデア的なオリジナルに対する模倣としてのミメーシスというようなギリシャ的(アリストテレス的)図式とは異なる、「模倣」の「模倣」、の「模倣」、の「模倣」(……以下無限)というようなシミュラークル的な何かがそこにはあるのだろうか? それとはまた別の観点からプラトン的なミメーシスとして蓮實重彦が『「赤」の誘惑』で語っていた模倣におけるヒエラルキー状の階梯があって(「椅子」という事物を巡るイデア=神の観念からそれを現実に形にする椅子作りの職人、その椅子を表象として描くことのできる画家、それをことばで描写するにとどまる詩人、までの位階)、そこには音楽家の存在はほとんど顧慮されていなかったように記憶している(もっとも、悲劇にはコロスという合唱の契機があったらしいから、無理くり音楽家の「模倣」をその秩序に組み込めば、それは最底辺の詩人の位相に腰を落ち着かせるのかもしれない)。
 ともあれ、ここでは、金井美恵子がその自作の「実験性」云々について水を向けられた際、言下にこれを否定してインタビュアーに応えて言い放った『作家は「実験」などしない。「実践」するのみだ。』という趣旨の発言に倣って、ゲッチングの『インベンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』というアルバムは何ものかの「実験」ではないし、ましてや何ものかのための「模倣」でも「再現」でもない、と無根拠に断言してしまおう。仮にそれが、たとえば(ゲッチング自身の発言によって)あたかもレッスンや習作のようなものとして耳にされるとしても、そのレッスンはついに収まるべき安住の座などというイデア的なステータスを金輪際持つことの無い、すぐれて実践的で、きわめて倒錯的な電子音楽と身体との捩れた結婚を言祝ぐものだったのだ、と言い募っておこう。そのようなレッスンの結実が何をもたらしたかと問われれば、たとえば人はそこで、電子音楽と身体との捩れた経験=愉悦の一頂点として確かにある、あの81年の『E2-E4』を思い出すこともできるのだろう。