杉浦茂『円盤Z』

円盤Z (河出文庫)

円盤Z (河出文庫)

 毎月何冊かずつ、ちょこちょこと杉浦茂の漫画を買うのを日々の楽しみにしているのだけれど、(最初に手にした『怪星ガイガー・八百八狸』みたいな比較的大きなサイズのものではなくて)河出とかちくま文庫で出されているような文庫で読む杉浦漫画には、またとりわけ、格別の質感が漂っているように感じる。
 小さな文庫本で、印刷の質も使われている紙の品質もあまり上等なものではなく、線全般にも滲みやボケが目立って、細部もつぶれてしまっているような状態のページを、それこそ抱え込むみたいな姿勢でじっくりと見つめていると、まるで顕微鏡でも覗き込んで、蟻だとかミジンコだとか単細胞生物の活動するごく微小な世界で起こっている出来事を観察しているかのような錯覚に抱かれる。『円盤Z』には表題作に加えてもう一篇「0人間」の二作品が収録されているけれど、特に「円盤Z」の方に、この微視的な感覚が強い(単純に、描きこまれている線の密度だとか量、対象となる人物や景物への視点の、距離の取り方の違いなのかもしれない)。
 顕微鏡の下の小さな世界の中に、愉快で奇妙キテレツな格好の悪漢や怪人たちがぞろぞろ現れてはあっちこっちで陰謀を巡らせ他愛の無い悪事をしでかし、正義感みたいなものとはほとんど無縁な少年ヒーローは、折にふれ快活に物を食い、冒険に興じ、喧嘩にはつねに勝ち続ける。蟻やミジンコの活動の原理が、それを眺めている人間の側では、最終的には、(システマティックに)「知る」ことは出来ても内在的には決して「了解する」ことが出来ないように、杉浦茂の児童漫画の世界においても、そこで起こっている(ほとんど、オートマティックと言ってもいいような)さまざまな活動や営みの意味などは、読んでいるわたしたちには完全に不可解な、何らかの妙ちくりんな運動の軌跡としてありつづけている。少年主人公と悪漢どもが宝物を探したり、奪い合ったり、勝負したりするという杉浦茂の漫画の常道は、その意味で、まさに「宝物を探したり、奪い合ったり、勝負したりする」ためにのみ要請されている、同語反復的な、「活動のための活動」の痕跡と言えるだろう。また、そのようにトートロジックにしか言い得ないものだろう。

……たとえばまた、杉浦茂の漫画の世界では、ページのあちこちに蝟集しているような、あのおびただしい吹き出しの中のセリフたちも、ことによったら、何か律儀な蟻たちの行列のように見えなくもない。
 そのような錯覚があるのだとすれば、それはたんに情報の量ではなくて、むしろ読む者の情動にかかわるような問題であるのだろう。

 小さな世界の中で繰り広げられる、小さな者たちの、衝突や活動、モブシーン――ちょっぴりアナーキック(?)な部分対象の氾濫、それを見取る子どもたちの眼差しの欲動。「知る」ことと「了解する」こととの、非対称性の逆転が、あるいはそこには発生しえたかもしれない(本当か?)。

……話が膨らみすぎそうなのでもう止める。「エンチャカホイ」。