ロブ=グリエ『覗くひと』

覗くひと (講談社文芸文庫)

覗くひと (講談社文芸文庫)

 この小説の中で頻繁に現れる象形文字のような「8の字」*1のイメージを、たとえば、主人公マチアスの抱くトラウマ的な原光景の反復的な再現と仮定することは、読み手に許されるだろうか?
 強姦殺人の累犯者としての主人公の人物像がしだいに浮かび上がってくるテクストの過程の内部には(直截的・明示的には)いっさい書きつけられることのなかった犯行の場面のいくつか、それはおそらく、被害者となった若い女たち(ヴィオレット、ジャクリーヌ)が、マチアスの大きな手によって、後ろ手に両腕を組まされた格好で縛められる光景を、読み手の視界に浮かび上がらせるだろう。女の細い二本の腕――肩から垂直に下りる上腕と、左右で交互に組み合わされ、くくられた手首を軸にお互いに他方の上腕へと下から伸びていく肘から先の前腕――の交差が形作る、犯行者から見られることになるであろう被害者たちの後ろ姿は、「8の字」を正確に90度横に倒した図形を容易に想起させることにもなるだろう。
 さらにまた、殺害に際してはいずれの場合も絞殺を手段に選んだとおぼしい*2この犯罪者が、「若い女」の細い首を(おそらく背後から?)絞めつけるとき、自分の開かれた両手が形作る二つの半円形が「S」の字(ないし、反転された逆「S」の字)になる瞬間を見ていなかった、とは断言出来ないだろう(「8の字」のイメージは、むろん、拡張され完成された「S」の字の図像としても、見ることが可能であるだろう)。
 あるいはまた、はなしをこの「8の字」のイメージの殺害場面から、さらに遡行的に(マチアスの幼年期の神話時代?にまで遡って)隠喩的な推理を続けていくことも出来るだろう*3
 作中繰り返される「8の字」のイメージは、そのように、主人公マチアスの凶行において欲望のピークとして視覚的に焼きつけられた外傷的光景の絶えざる回帰として、読み手に受け止められることが、しかし、はたしてほんとうに可能だろうか? あらためて念押しすれば、以上に描いてみたマチアスの犯行場面や性的な倒錯の嗜好のいくつかは、作者によって小説の内部には(コンファーマティブな水準に限って言えば)いっさい書かれてはいない。それは、「8の字」のイメージの換喩的な氾濫と横滑りを堰き止めるために、テクストの外部にあると想像された根拠(虚焦点)に向かって引かれた、隠喩の補助線にすぎないものだろう(「8の字」のイメージやもろもろの「若い女」たちの形象やしぐさには、すくなくとも、テクストの内部にはいかなる意味も根拠も隠された裏づけも見出せない)。
 というような意味合いで、小説の末尾近く、子ども時代の一時期をそこで過ごした断崖の家屋のひと部屋の、衣裳箪笥の抽斗の中に、マチアスが、例の「8の字」の麻紐を、――子ども時代には親によってそこに鍵を掛けられ、中の紐のコレクションが持ち出せないよう閉ざされていたものの、再び訪れた今、しかしむろん、鍵もかけられず、中の紐たちもない、その空っぽの抽斗の中に――、あらためて、アタッシュケースとともにそのフェティッシュじみた物品を収めなおすという場面(257頁)は、症候的な文脈を形成するものだろう。空っぽだった抽斗の中を、あらためて内容物で埋めるというマチアスの「否認」の行為は、隠喩的な意味と根拠探しの物語から、換喩的な語とイメージの立ち騒ぐ小説と言う場を、再び、何度でも、立ち上げようとする試みとしても読まれることが可能なのではないか?(……じっさいのはなし、よく分かっていない。面白かったのは確かなはなし。)*4

*1:ざっと目に付きやすいところでは、マチアスの拾う「8の字」にくくられた麻紐、岸壁の鉄環が波に打たれて作った並びあう二つの円の痕跡、港を飛ぶ鴎が描く「8の字」の軌跡、民家の扉の鏡板に残る木の節目の並び、腕時計の行商人である主人公が孤島の上で踏破することになる販路の行程の地勢的コース、マチアスの煙草の火によって眼鏡のような連なる穴を開けられる(ヴィオレット)殺害事件の概略の記された新聞の切り抜き、等々。以上の形象のいずれも、当然、正確には、「8の字」ではなくて「∞」の記号ってことになる。

*2:作中二度繰り返される、マチアスが家の中の部屋の様子を外の窓から覗く場面で、そこから漏れる「若い女か、小娘」の幻聴じみた呻き声の記述(29頁)、あるいは、漁夫である夫が「若い女」であるその妻の、丸出しになった襟首を背後から大きな手で撫でつづける光景(246頁)、またはいっそ露骨に小説内部に散布されている、マチアスの「若い女」全般の首筋へのフェティシズム的な視線の注視が、この信憑を裏付けるだろう。

*3:窓の外の、強い風が吹く中、一匹の大鴎が微動だにせずに杭の上に羽を休めている姿を、明視しながらスケッチを取ったというマチアスの子ども時代の特権的な記憶は、完全な静止と激しい運動、窓の中を覗く行為と窓から外を眺める行為、明視と(作中何度も繰り返される)「目を手でおおう」しぐさ、――そのような対照的なニュアンスの置き換えを呼び込むことによって、精神分析的な心的作業をたやすく想起させる。マチアスの幼少期の早いうちに(つまり、おそらく、若くして)亡くなった実母の、その死の真相は、はたして幼いマチアスには、完全に理解されないままだっただろうか?

*4:記憶に間違いが無ければ、主人公マチアスにはフルネームが与えられていない。フランス語も分からないので、「マチアス」という名がファーストネームなのかファミリーネーム(「父の名」)なのかも判断できない。