マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』

モデラート・カンタービレ (河出文庫)

モデラート・カンタービレ (河出文庫)

 「モデラート・カンタービレ」という音楽用語が、楽曲の演奏に対して「普通の速さで歌うように」と指示することばだとは、この小説ではじめて知った(……というような、無教養な人間の書く、まったく当てにならない感想。気になった要点だけ。マルグリット・デュラスの小説も初めて読んだ)。
 「貿易会社と沿岸鎔鉱所とを経営」する資本家の有閑夫人である主人公アンヌ・デバレードにとっての「モデラート・カンタービレ」という指示語は、たとえば、自分たちの属する階級的環境の穏健さや穏当さ、ブルジョワ固有の習慣や作法なんかによって秩序立てられた平準化と正気の生活空間みたいなものを簡潔に指標しているものと見なしてよいのだろうか。とするなら、物語の冒頭で息子の通うピアノ教室の窓の外から、さながらガラスを叩き割るようにして突如響く(すぐのちに、何らかの痴情のもつれから男によって銃弾を心臓に撃ち込まれ殺害されたことが判明することになる、見も知らぬ被害者女性の)「叫び声」は、その生のままの、剥き出しの生(/性)の抑制を欠いた過剰な発露によって、デバレードをブルジョワジーの圏外、狂気の方へと誘い込む機能を果たしていることが、主題論的な次元でも理解することができるのだろう*1(「普通の速さで歌うように」流暢に流れるものと、突発的で不調和な「叫び声」との対照がそこにはある)。デバレード夫人は、この「叫び声」に怯えつつも、同時に、その「叫び声」をもたらすことになる核心(死と狂気)へと強く惹かれていくことになる。冒頭の殺害事件以降、それをきっかけに、逢引きを重ねるようにして夕暮れごとにカフェでぶどう酒を酌み交わすことになる男(ショーヴァン)との一件に関する質疑応答めいた空想的対話の始終は、デバレードにとっての、いわば死へのレッスンの漸進的な更新のようなものとなっていくだろう。
 「普通の速さで歌うように」奏でられる幼い息子のピアノ演奏や、倦怠感に浸された有閑夫人の日々の営みが、狂気をはらんだ不穏な「叫び声」の侵入によって亀裂を広げていくことが、声や音とかいったものを介して口唇的な局所へと主題的に収斂していくのだとするならば、作品7章に描かれるデバレード邸での夜会におけるブルジョワたちの会食の場面には、その文脈にとって重要な意味を持つ細部が按配されているように思われる。ショーヴァンとの連日の対話がしだいに醸成させていく「殺されたい欲望」のはらむ狂気の兆しと依存症を育みつつあるような慣れない深酒のもたらす酩酊状態のなかで、ホストの立場もわきまえずに遅参したあげく食事にもほとんど手をつけず、いそいそと場を辞去することにもなるデバレードの、ブルジョワ圏域にとってそれだけで充分スキャンダラスな噂のタネともなる一連の無作法は、二階の一室に眠る息子のベッドの足元に彼女を突如うずくまらせ、直後に激しい「嘔吐」を引き起こすことになる。

「わたしはよく吐き気をもよおすの、だけど原因はこのあいだのとはちがってよ。このあいだみたいなことで吐いたこと、一度もないわ。あんなにたくさんのお酒を、一度にぐいぐい、しかもあんな短い時間のうちに飲んだこと、それまでなかったんですもの。ものすごく吐いたわ。どうしても止まらないの、もう永久に止まらないかと思ったくらいよ。ところがそれから急に吐けなくなったの、こんどはいくら吐こうとしても駄目なの。わたしの意志ではもうどうにもならなかったの」(135頁)

 人は相応の作法にのっとり、「普通の速さで歌うように」談話をまじえた食事を優雅に楽しむことは出来ても、談話しながら「嘔吐」することなどは、言うまでもなく、絶対に不可能だろう。それは作法や摂食や優雅な会話の形づくる(ブルジョワ的)圏域の淀みのない流れとは別の領域、生理学的な外部から、閃光のように侵入する、「わたしの意志ではもうどうにもならな」い絶対的な切断をもたらすものである筈だろう。「叫び声」と「嘔吐」とはその意味で、「普通の速さで歌うように」流れるものに対して、同様の分断をもたらす二つの様態でもあるだろう。(……ちなみに、スタティックなブルジョワ的圏域に外部から壊乱的に侵入するその「叫び声」と「嘔吐」との口唇的主題は、その口唇という部位の声と食物と吐息との「しきい」としての性格を分有して、この小説では、「門口」や「窓」や建物の「出入り口」といった内と外とを繋げながら隔離もするさまざまな浸透膜として場所的にも再三再四繰り返し描かれることになるわけだけれど、そこで、作中、カフェの「敷居」を活発に行き来する「少年」の往還運動であったり、夜中に港湾労働者らしき人物による投石によって叩き破られるデバレード邸の二階の廊下の「窓ガラス」だったりに注目すれば、また違った視点から、この小説を考えることが出来るのかもしれない)。


 ……以上ひっくるめて一言で感想を述べれば、マルグリット・デュラスという作家は、まあウンザリするほど小説が巧い。デバレードとショーヴァンとの会話の進行とか震えるほど凄い。いまさら言うべきことじゃないってことは承知しているけど、初めて読んだんだからしょうがない。参った。嬉しい。

*1:息子の分娩のさいにみずからあげた「叫び」のおぼろげな記憶だとか、自宅の庭園に植わった水蝋樹(いぼた)の、風に揺すられて「叫び」みたいに音を立てるさまにおののくデバレードの心情なんかが随所に、印象的に書きつけられる。