マルグリット・デュラス『ロル・V・シュタインの歓喜』

ロル・V・シュタインの歓喜

ロル・V・シュタインの歓喜

 この小説は難しかった。おおむね解説の平岡篤頼の意見に同意する。でもそれだけじゃなんだから、言いっぱなし気味になんか書いておく(言いっぱなす場合は100パーよく判っていない)。

 ロル・V・シュタインが彼女の友人の女性(タチアナ)とその愛人(ジャック・ホールド)との情交の場面を覗いていることをあらかじめ男に了解させたうえで二人の密会の現場に視線を差し向けるとき、その三角関係はロルの狂気の発端となったそれ以前の最初の三角関係(ロルと彼女の婚約者だったマイケル・リチャードソン、そしてアンヌ=マリ・ストレッテール夫人とで形づくられた十年前の舞踏会での出来事)を反復しようとするものだっただろうか? ロルの愛と狂気の原型ともなるこの最初の三角関係においては、彼女は終始徹底して受け身の姿勢を取らされ、婚約者と一人の女が一晩明かしてダンスを踊り続ける光景に物陰から視線を送ることだけしかできない(しかしそこに、踊り続ける二人への嫉妬はいっさいない。むしろ、排除と選別から構成される排中律の規則を超えてしまったそこにこそ、ロルは彼女の愛の核心を見出すことになるだろう。ロルの狂気はその後の展開――顕示されたその無差別的な愛の時間がマイケルとストレッテールたった二人だけからなる閉じた関係へとしぼんでしまい、自分の目の前から二人が永久に去っていってしまったことが明らかとなったそのときはじめて、彼女に固有の「狂気を狂わせる」ことになるだろう)。ロルが、彼女を愛することになる彼女の友人の愛人を仕向けて、彼女の目の前で(しかし二人からはロルを見ることの出来ない位置から)その二人の情交を眺めるとき、反復されたこの三角関係においては、かつて原型となる三角関係で強いられていた彼女の受動性が、状況を裏面から操作するという隠微なしかたで能動性へとわずかに軸をずらされている。ロルのポジションはそこで、原型の三角関係におけるロルの位置にもあり、同時に、一人の女(かつての自分)から男の愛を奪い去ったストレッテールの位置にもある。ロルでもありストレッテールでもあるこのロルは、かつてのようにロルとして愛の場から放逐されることもなく、ストレッテールとして愛の場を閉じてしまうのでもなく、今やロルでもストレッテールでもタチアナでもない、法外な何者かとしか言えない存在へと変成するだろう。その意味で、反復は未知の領野を反復させる。おわり。