高野文子『絶対安全剃刀』(白泉社)

 この作品集のいちばん最後に収録されている「玄関」という短篇は、それを目にして、ああ高野文子のマンガだなあ、という感慨を抱くより仕方がないような仕上がりを示してみせてくれる。
 作品の流れの中では最後に据えられている母と娘(「えみこ」)二人の後ろ姿を捉えたショットは、物語の中で起こった出来事を時間軸に沿って追えば、作品の終わり以前、物語の時間が開始されるより以前の近過去の、ある情景の(「えみこ」による)回想を描いていたものだ。物語の時間は夏休みの或る一日のおそらく午前のほんの短いひとときのあいだに限定されている。小学生の女の子二人(「えみこ」と「しょうこ」)のごくごく他愛のないささやかな交流のひとこまがさらっと綴られているだけのこの物語の時間は、作品の時制ということにかんしてはもうちょっと複雑で豊かな時間をはらんでいる。時間軸に沿って順に挙げれば、ここには、初めの出来事として夏休み以前(「夏の初め」)に海水浴で「えみこ」が溺れかけるという事件があって、さらにその「一週間後のプールの時間」に水に入ることが出来なかった「えみこ」の「悲しいこと」の核心的な体験があり、その後、「お母さんの日がさに入って」小学校を早引けしなければならなかった情景がつづき、「えみこ」と「しょうこ」の交流が描かれる夏休みの或る一日の時間がやって来ることになる。これらいくつかの時間がぽつりぽつりと点綴されることで作品は形作られる。現在形で描かれる「えみこ」の夏休みの或る一日は複数の時間(記憶)の相互嵌入によってその数だけ穴を穿たれている。最後の4ページで描かれる「悲しいこと」の想起の時間は現在形の物語の時間以前にあり、そして作品最後のひとこまは「えみこ」と「しょうこ」が夏休みの或る一日に口にした現在の物語の「いちご」の「ソーダ」のカットが描き添えられている。その「赤いsoda」のイラストのかたわらには、「夏休みが終わります」という物語の近未来を予示する「えみこ」のモノローグのルフランが書きこまれる。
 まあ、いくらこんな風に作品の要素を腑分けしてみたって、高野文子のマンガのもつ緊密な豊かさみたいなものが解体されることなど到底ありえない。


絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集